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神戸地方裁判所伊丹支部 昭和53年(ワ)142号 判決

原告

吉田陽子

ほか二名

被告

主文

被告は原告吉田陽子に対し、金一三六〇万一五六四円およびうち金一二八〇万一五六四円に対する昭和四九年七月一〇日から、うち金八〇万円に対する本裁判確定の日の翌日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

原告吉田陽子のその余の請求を棄却する。

原告瀬戸口イツ子、同瀬戸口義人の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用はこれを五分し、その三を被告の、その余を原告吉田陽子の負担とする。

この判決は仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求める裁判

一  原告

(主位的請求の趣旨)

(一) 被告は原告吉田陽子に対し、金二二、〇八九、二六五円および内金二一、〇八九、二六五円に対する昭和四九年七月一〇日から、内金一、〇〇〇、〇〇〇円に対する本裁判確定の日の翌日から各支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

(二) 訴訟費用は被告の負担とする。

(三) 仮執行の宣言。

(予備的請求の趣旨)

(一) 被告は、

1 原告吉田陽子に対し、金一五、八八九、二六五円および内金一五、〇八九、二六五円に対する昭和四九年七月一〇日から、内金八〇〇、〇〇〇円に対する本裁判確定の日の翌日から

2 原告瀬戸口イツ子に対し、金二、一〇〇、〇〇〇円および内金二、〇〇〇、〇〇〇円に対する昭和四九年七月一〇日から、内金一〇〇、〇〇〇円に対する本裁判確定の日の翌日から

3 原告瀬戸口義人に対し、金二、一〇〇、〇〇〇円および内金二、〇〇〇、〇〇〇円に対する昭和四九年七月一〇日から、内金一〇〇、〇〇〇円に対する本裁判確定の日の翌日から各支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

(二) 訴訟費用は被告の負担とする。

(三) 仮執行の宣言。

二  被告

(主位的請求の趣旨に対する答弁)

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

原告勝訴の場合は担保を条件とする仮執行免脱宣言。

(予備的請求の趣旨に対する答弁)

原告らの請求を棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

原告ら勝訴の場合は担保を条件とする仮執行免脱宣言。

第二当事者の主張

(請求の原因)

一  事故発生

昭和四九年七月八日午後一一時五五分ころ佐世保市山県町六番二号前交差点において、訴外瀬戸口百作(明治四三年八月二六日生―以下、百作という)はアメリカ合衆国軍隊の構成員運転の軍用車(一九七三年式シボレーピツクアツプNo.九四―九一七九三)前部ボンネツトではね飛ばされ、左肋骨第三ないし第六骨折による肺損傷等のため死亡した(以下、本件事故という)。

二  責任

前記交差点は見通しの悪い交差点であるから運転者としては交差点の通行人の有無確認のために前方注視を厳にし、かつ、徐行すべきであるのに、右軍用車を運転していたアメリカ合衆国軍隊の構成員は、これらの義務をいずれも怠り、漫然と時速約一〇〇キロメートル近い猛スピードで運転進行した過失により、前記交差点を歩行横断中の百作をその寸前において発見し、急制動をかけたが間に合わず、自動車の前部ボンネツトではね飛ばし、よつて、間もなく同人を死亡するに至らせたものであるが、右の事故は、「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定の実施に伴う民事特別法」第一条により、アメリカ合衆国軍隊の構成員がその職務を行うについて日本国内において違法に他人に損害を加えたものであるから、国がその損害を賠償する責任がある。

三  損害

(一) 瀬戸口百作の損害

百作は死亡当時西肥開発株式会社の代表取締役として勤務し、またやき鳥屋「とり万」を経営していた。これらによる収入は次のとおりであつた。

1 逸失利益

イ 西肥開発からの収入(48年4月より49年3月まで)

報酬 二二三万円

賞与 六五万円

小計 二八八万円

ロ 「とり万」からの収入(48年度)

経費控除後の利益 一一五万〇七六五円

税金 一五万八一二八円

差額 九九万二六三七円

同人と原告らとは別居していたが、同人から原告吉田陽子に対して生活費を仕送りしていたから、控除する生活費を三五%として、同人死亡による逸失利益は次のとおりとなる(余命一四・六年就労可能七年係数五・八七四)。

(2,880,000+992,637)×0.65×5.874=14,786,115

金一四七八万六一一五円

2 長崎労災病院における治療費

金三一五〇円

3 慰謝料

瀬戸口百作は西肥開発株式会社の代表取締役であり、「とり万」の経営者として安定した収入があつた。そして同人には原告らを含む妻および子三人がいた。また同人は原告吉田陽子に仕送りをしていた。その死亡による慰謝料としては、金八〇〇万円が相当である。

4 以上1ないし3の合計は金二二七八万九二六五円となる。

(二) 主位的請求

1 右瀬戸口百作死亡により、相続が開始したが、相続人である原告瀬戸口イツ子、訴外藤坂満江、原告瀬戸口義人はそれぞれ相続放棄したので、百作の本件損害賠償請求金額金二二七八万九二六五円はすべて原告吉田陽子が相続した。

2 原告吉田陽子は父死亡により次のとおり損害をうけた。

イ 遺体引取その他本件損害賠償請求のための資料収集費

金二〇万円

ロ 墓碑建立費(近い将来建立するつもりである。)

金一〇万円

ハ 原告らと被告の窓口である防衛庁との間に、長期にわたり本件損害賠償の交渉をして来たが、後記のとおり損害額について妥結せず、ついに本件訴訟のやむなきに至つたものであるのでその弁護士費用として、

金一〇〇万円

を必要とする。

ニ 以上の合計は金二四〇八万九二六五円となるが、すでに福岡防衛施設局から金二〇〇万円の支払をうけたので、これを差引くと、原告陽子の請求すべき金額は、

金二二〇八万九二六五円

となる。

(三) 予備的請求

慰謝料について、その相続性を否定し、相続人固有に発生するものとの考え方に基づく場合、原告らは次のとおり、損害をうけた。

A 原告瀬戸口イツ子の損害

慰謝料 二〇〇万円

弁護士費用 一〇万円

合計 二一〇万円

B 原告瀬戸口義人の損害

慰謝料 二〇〇万円

弁護士費用 一〇万円

合計 二一〇万円

C 原告吉田陽子の損害

逸失利益(百作の逸失利益を相続したので) 一四七八万六一一五円

治療費 三一五〇円

遺体引取等諸経費 二〇万円

墓碑建立費 一〇万円

慰謝料 二〇〇万円

弁護士費用 八〇万円

支払ずみ分 二〇〇万円(差引分、計算の都合上原告吉田分で差引いておく)

合計金 一五八八万九二六五円

四  本件訴提起に至るまでの経緯

原告らは、すでに長年にわたり福岡防衛施設局と本件損害賠償請求について交渉を重ねて来たが、防衛施設局は合計金一二一二万七一四一円なる金額を提示したが、原告らはこれに納得できなかつたので本件訴提起に至つたものである。

(請求の原因に対する認否)

一  請求の原因第一項の事実は認める。

二  同第二項の事実のうち、交差点を歩行横断中の瀬戸口百作が自動車の前部ボンネツトではね飛ばされ、間もなく死亡するに至つたこと被告においてその損害を賠償する責任があることは認めるが、その余の事実は否認する。なお、加害自動車のスピードは時速六〇キロメートル程度であつた。

三  同第三項の(一)の事実のうち、冒頭部分の主張において瀬戸口百作が西肥開発株式会社の代表取締役であつたことは認めるが、やき鳥屋「とり万」の経営に当つていた旨の主張は否認する。

(一)の1の事実は争う。

(一)の2の事実は認める。

(一)の3の事実のうち、瀬戸口百作が西肥開発株式会社の代表取締役であつたことならびに同人に妻および子三人がいたことは認めるが、その余の事実は争う。

同第三項の(二)の1のうち、原告吉田陽子のみが相続したことは認める。但し、損害額について争う。

(二)の2のイは否認する。ロは不知

ハの事実は認める。但し、本件損害賠償事件につき、交渉に当つたのは防衛施設庁と福岡防衛施設局であり、原告側は吉田陽子だけである。弁護士費用は不知。

同第三項の(三)の事実のうち、被告から金二〇〇万円支払ずみであることは認めるが、その余の事実は争う。

四  同第四項の事実は認める。但し、福岡防衛施設局と交渉したのは原告吉田陽子のみである。

(被告の主張)

一  過失相殺について

本件交通事故の発生については、被害者百作にも以下に述べるような重大な過失があるので、損害賠償額の算定につき大いに斟酌されるべきである。

すなわち、本件事故現場附近の南北に通じる道路は、米軍引込線(ジヨースコー線)と並行する歩車道の区別のない幅員約六・三ないし七・三メートルのアスフアルト舗装道路で、加害車両の進行する方向からみてほぼ一直線道路であるが、道路の右側(東)は米軍引込線が道路より約六〇センチメートル高い位置にあり、道路に沿つて米軍引込線の線路敷端に高さ約七〇センチメートルの鉄さくが設置され、踏切南端から約一〇メートル南(手前)には周囲約一・五四メートル、直径約五〇センチメートルのコンクリート製の電柱が、また、踏切南側角と東側角には黄色く塗装した高さ一・九メートル、長さ二・八メートルの三角形状の木枠進入防止さくが設置されている。また交差点附近には夜間の道路照明設備や、交差点の存在あるいは一時停止、徐行等を表示する道路交通標識の設置はなかつた。

百作が通行した本件事故現場に通じる踏切は、変形五差路交差点の丁度扇の要部分にあたる位置にあり、いずれの方向への見通しも良好であつて、米軍引込線と並行して南北に通じる道路の南(三浦町方面)への見通しは、右踏切が南北に通じる道路より一段高い位置にあるため、線路際に設置された鉄さくごしに一〇〇メートル以上も先(南)から本件交差点に向つて進行してくる車の確認ができる状況下にあつた。

百作は、右踏切りを渡り、変形五差路交差点を横断しようとしたのであるから、横断開始直前か、踏切を渡りながら左前方の南北に通じる一方通行の道路状況を確認すれば、深夜前照灯を照らして走つてくる車両を容易に発見し得たのである。

ところが、百作は左右の安全の確認を怠り、走行車両の直前を漫然と横断しようとしたのであり、また、道路は一方通行であつたから走行車両を認めるのはきわめて容易であり、事故の発生を未然に防止することが可能であつたにもかかわらず、そのまま横断した百作の行動は通常考えられないところであり、そうした同人の重大な過失が本件事故発生の原因となつていることは明らかである。

二  逸失利益について

(一) 百作は「とり万」の経営にはほとんど関与せず、一切を尾畑に任せていた。すなわち、尾畑は昼すぎに店をあけて、開店後は夜一二時までの間、調理、客の応待、代金の受領、その他雑用にわたる一切を従業員を指図しながら切りまわしており、また、売上金の収受、計算、保管あるいは従業員の給料の計算、支払いもほとんどすべて尾畑一人でやつていたのである。そして、百作と尾畑とは事実上夫婦として、文字どおり寝食を共にしていた生活関係にあつたのであり、百作と一時情交関係があつた一人にすぎないというような関係ではない。そのことは、尾畑が右のように「とり万」の一切を切り廻しながら百作からなんら「手当」をもらつていないことからも容易に首肯できるところである。

(二) 百作は、手を出した仕事に次々失敗し、ある場合は一千万円くらいの穴をあけて銀行取引停止となるといつた繰り返しであつた。そのような百作がいろいろな事業に手を出すことができたのは、尾畑が「とり万」の経営に専念して店を維持していたことに負うところが大である。

(三) 百作は、会社から五時帰宅、夕食後すぐパチンコ、玉突、あるいはお茶を飲みに出かける毎日に終始していたのであり、「とり万」に関しては店が忙しい時間に電話で呼び戻されれば一時間程度手伝つていたにすぎない。このことは、百作の死亡後、「とり万」の売上げになんら影響がみられなかつた事実によつても如実に示されているところである。

(四) 百作は「とり万」を開業するまで調理に関する経験を有せず、「たれ」の作り方一つをとつてみても百作と尾畑の二人で工夫改良してやつたというのが実情であり、また、「とり万」を始めるにあたつて百作が出資をした事実はなく、百作のみが経営者であつたという実態は当初からもなかつたのである。

以上の諸点から、「とり万」の経営者が実質的には尾畑であり、百作の「とり万」の経営への寄与度が極めて低いものであつたことは明らかである。

三  仕送りについて

百作が原告吉田陽子(以下「陽子」という。)に対して仕送りを継続していた事実はない。わずかに原告陽子が六万円で購入したという冷蔵庫の支払いのため五千円あて送金したことがあるのみである。

四  車両のスピードについて

原告は加害車のスピードは時速一〇〇キロメートル近いものであつた旨主張するけれども、一〇〇キロメートルで走行できるはずはない。

すなわち、本件事故現場は、片側は引込線、他方側は商店、住宅が続く幅員六・五メートル程度という道路状況であることに加えて〈1〉夜間であること、〈2〉街灯などの照明設備が存在しないこと、〈3〉路面が雨で漏れていたこと等の条件の下で、はたして時速一〇〇キロメートルに近いスピードで走行できるか否かは容易に判断できるところであり、そのようなスピードで走行することは運転者にとつて自殺行為以外のなにものでもないといわざるを得ない。

なお、当該加害車両のスリツプ痕から事故当時のスピードを算出すると時速六〇キロメートル程度と考えられるところからも明らかなように原告主張のスピードはこれらの状況判断を誤つた不当な推定であるといわなければならない。

五  訴訟前の交渉の際に作成した査定書の記載について、

査定書を防衛施設庁で作成するにあたり、同庁ではできるだけ原告に有利な金額が算出できるよう種々配慮しているのである。生活費の控除に際して原告の一方的な申出にすぎない仕送りについて考慮したのもその一環であるが、本件の円満解決を図るため「内妻の証言」という表現を補強して本査定書を作成したというのが実情である。

防衛施設庁の担当者は尾畑花から、原告が訴外百作から仕送りを受けていたということを聞いたことはないのである。

(被告の主張に対する反論)

一  過失相殺の主張は争う。

加害者にこそ重大な過失があると考えるべきである。すなわち当時から速度制限四〇キロメートルであつたと認められる道路を、真夜中の小雨の降る中を一〇〇キロメートル近い猛スピードで、変形交差点を突進したと推定されるのである。しかも被害者の歩行していたところは、近くのガソリンスタンドの電灯がついていてさらには近くの飲食店からのあかりの影響から、あかりがさし込んでいたことが認められ、このあかりにより加害者は被害者を遠くから認識できる状況にあつた。しかるに何らかの事情により、この前方注視義務を怠り本件事故に至らしめたものである。もし捜査がなされていたら右事情が明らかになつたであろう。捜査権がないところから捜査されず事実究明されなかつたことを被害者に不利に推定されるべきでない。

二  逸失利益の主張について

百作は、昭和三五、六年頃、自ら、佐世保市京町通りで焼鳥の出店をはじめ、その後これを昭和三七年ころ光月町の「とり万」、現在の山形町の「とり万」に発展させたのであるが、その軌道にのつた現在の「とり万」の状態についてのみの尾畑花の役割を述べても意味はない。事業はその軌道にのせるまでが大へんなのである。百作であつてこそ事業資金を借りられたのであり、事業を始められたのである。被告は、また、百作死亡後「とり万」の売上げに何ら影響がみられない旨主張する。しかし、別件(吉田陽子―尾畑間)事件において、別件被告尾畑は「現在では顧客も激減し経営の方のやりくりに苦しい状態にある」と主張しており、もし、百作が生きていれば右状況に至るまでに有効な手段をとりえたに違いないと、原告らは考えるのである。

三  仕送りについて

ある時、百作から原告陽子に対し、金五〇万円の仕送りがあつたことは事実である。

四  車両のスピードについて

原告らが事故直後警察署で担当者から聞いたところでは一〇〇キロメートル近い速度であつたというが、その点がはつきり確定できないので書類上では六〇キロメートル以上となつているのである。被告は、当時のスピードは時速六〇キロ程度であると主張するが、本件スリツプは、加害車が花壇と数本の柱に衝突し、それらを破壊してようやくにして停止したものであり、この花壇までの距離をスリツプ痕として表わしているに過ぎない。スリツプ痕の末端で自動的に停止したものではない。後者の場合は時速六〇キロであるが、本件では時速六〇キロではなく、それ以上約一〇〇キロに近いものであることは間違いない。

五  査定書について

被告の主張によると、防衛庁の担当者は内妻尾畑から聞いてもいないのに、内妻の証言があつたと記載したということになる。国を代表する防衛庁が原告に提示した文書に記載された文言の内容がうそであつたとはとうてい信用できない。

しかも右記載の事実は、「原告に有利な金額が算出できるよう種々配慮し」たものであるという。それなら国の裁判機関を通しての訴訟となれば右の配慮が消滅するのはいかなる理由によるのであろうか。被告の主張は禁反言の原則、信義則に反し許されないと言わねばならない。特に本件はアメリカの駐留軍の構成員が国民を過失により死亡させたことによる損害賠償事件であり、いわば国が加害者にあたる事件である。従つて国が責任を感じてその遺族の原告らに誠意を尽すべきものである。しかるに、国は、百作死亡について原告らにくやみの言葉も述べなかつたし、そもそも死亡のことを知らすこともしなかつたのである。そして訴訟の段階になつて、右のような交渉段階での公文書で提示した損害賠償金額の根拠として述べた理由となる事実が、実はうそであつた、従つてその提示の金額は引込める(そういうことになる)と主張されるに至つては、加害当事者なる国として許されないことである。

第三証拠〔略〕

理由

一  本件事故発生の事実および本件事故により生じた損害について、被告に賠償すべき責任があることについては、当事者間に争いがない。

二  そこで、瀬戸口百作の損害について検討する。

(一)  逸失利益について

成立に争いのない乙第三ないし第一六号証、欄外の書き込み部分を除き成立に争いのない甲第一号証に証人尾畑花、同中島久美の各証言および原告吉田陽子本人尋問の結果ならびに弁論の全趣旨を総合すると、次の事実が認められる。

1  百作は昭和二一年頃、鹿児島市で割烹旅館を経営していたが、原告ら妻子がいるにもかかわらず、訴外尾畑花と親しくなり、鹿児島市内で同棲生活を送つた後、二人で鹿児島の地を離れ、百作の郷里ともいうべき佐賀県多久市に一まず落着いて、しばらくはここで行商をしたりして生計をたてる生活を送つていた。

2  その後、百作と尾畑は佐賀県の唐津市に移転したりしたが、昭和二九年頃、長崎県佐世保市に居を移し、食料品の積荷作業に従事したりした後、一時佐賀県有田町に転住したこともあつたが、昭和三六、七年頃には佐世保市に落着くに至つた。

3  そして、昭和三七年頃から佐世保市宮田町で「とり万」の屋号で焼鳥屋を開業したが、開業の当初は、百作と尾畑とで焼鳥用の「たれ」を工夫したり、百作が鳥を焼き、尾畑が店の他の仕事をするなどして、二人で、「とり万」の経営に当り、店は順調な経営状態であつた。「とり万」の店舗は同市宮田町から同市光月町、更には同市山県町へと移転した。

4  この間、店舗の借主名義、保健所、税務所などへの届出名義人はいずれも百作がなつていたが、店で従業員等を指図して、「とり万」の営業をきりもりするのは、次第に尾畑の役目となつていつた。それと共に、百作は外に仕事を求めるようになり、昭和四一、二年頃からは道路舗装の仕事やライサーの販売、オートチヤイムなる外国製洗濯機の販売等に手を出したりしたが、いずれも失敗し、一時は一千万円程の債務を負つたこともあつた。その後、友人から勧められて西肥開発株式会社という不動産関係の仕事を始め、死亡当時は同会社の代表取締役の地位にあつた。

5  しかして、「とり万」の昭和四八年度の申告所得額は、金九四万三二六五円であり、百作が死亡前三カ月間に西肥開発株式会社から受領した給与は月額金二〇万円、死亡の前年に受領した賞与の合計額は金六五万円であつた。

6  なお、百作は原告吉田陽子に対し、時に送金をすることもあつたが、定期的に仕送りがなされていたというものでもなかつた。

以上認定の事実を覆えずに足りる証拠はない。

右認定の事実によれば、百作は尾畑との協力の下に「とり万」の営業を軌道にのせ、これが順調に進み始めて後は、自らは他に仕事を求め、死亡時には西肥開発株式会社の経営者となつていたことが認められるところ、右に認定した「とり万」開業に至る経緯、開業後、店が軌道に乗るまでの百作と尾畑との協力態勢、店の経営名義等を総合勘案すると、「とり万」の営業について百作は二分の一程度の寄与をしていたと見るのが相当である。

そうすると、百作は本件事故のため死亡したことによつて年額金三五二万一六三二円(「とり万」の収入の二分の一の金額および西肥開発株式会社からの月額金二〇万円および年額金六五万円の賞与の合計金)を喪失することとなるので、死亡当時六三歳であつた百作の余命一四・六年、就労可能年数七年とし、生活費控除を五〇パーセント(被告が訴訟前の交渉の段階で、生活費を三五パーセントとしたことを訴訟において覆えすのは信義則に反する旨、原告は主張するが、訴訟前の交渉の段階と訴訟における主張とが異なるとしても、この点でもつて、被告の主張を違法とするには当らない。)としてホフマン式計算法により逸失利益を算出すると、金一〇三四万三〇三三円となる。

(471,632+3,050,000)×0.50×5.874=10,343,033

(二)  長崎労災病院における治療費として金三一五〇円を要したことについては当事者間に争いがない。

(三)  慰藉料について

百作は本件事故当時六三歳という年齢ながら、一方で不動産会社を経営し、一方で焼鳥屋を営業するという多忙な生活を送り、一瞬のうちに死亡するなど想像もしていなかつたものであるが、本件事故のため死亡するに至つたものであるので、これら諸般の事情を考慮して、百作死亡による慰藉料としては金六〇〇万円をもつて相当と考える。

(四)  以上合計すると、百作は本件事故により金一六三四万六一八三円の損害を蒙つたことになるところ、当裁判所は、死者の慰藉料について、その相続性を否定するものではないので、右の百作の損害金については、原告吉田陽子のみが相続した(この点については当事者間に争いがない)こととなる。

従つて、慰藉料の相続性を否定する立場を前提とする予備的主張については判断するまでもない。

三  次に、原告吉田陽子の固有の損害について検討する。

(一)  まず、遺体引取りその他の費用であるが、証人吉田純一郎の証言によれば、百作は原告らと別居していたため、百作の遺体引取りに原告陽子らは伊丹市から佐世保まで赴かざるを得なかつたことが認められるので、その費用として、金一〇万円程度を要したと認めるのが相当である。

(二)  また、原告吉田陽子は墓碑建立費として金一〇万円を請求するけれども、墓碑の建立は、死者の遺族自身が死者への追とうをこめてなすべきものであつて、これまでを、本件事故による損害に含ましめるのは相当ではない。

四  被告は、過失相殺の主張をするので判断する。

成立に争いのない乙第一、二号証および検乙第一ないし第四号証に、証人尾畑花の証言ならびに検証の結果を総合すると、次の事実が認められる。

(一)  昭和四九年七月八日午後一一時五五分頃、米海軍佐世保基地所属の海兵隊軍曹ハンバート・レンドンは、同隊の業務を遂行すべく米海軍軍用車普通貨物自動車(車両番号九四―九一七九三号)を運転し、国鉄佐世保駅を起点として佐世保市赤崎町米海軍補給基地ジヨスコーに至る米軍引込線と並行する西側道路を同市三浦町方面から島地町方面へ向つて時速約六〇キロメートルをかなり超える速度で進行中、同市山県町六番二号地先の変形五叉路の交差点にさしかかつた時、引込線踏切をこえ東から西(加害車両の前方を右から左に)に向つて横断歩行中の百作を約二〇―二五メートル手前で発見し、急制動をかけハンドルを左へ切つたが間に合わず、自車の前部を百作に衝突させ約七メートルはね飛ばし、自車の前部で交差点西側角にある給油所敷地に設置された花壇及び地下タンクからの空気パイプに百作を押圧し、左胸部肋骨骨折、左右大腿骨骨折、脳挫創により即死せしめるに至つた。

(二)  本件事故当時の現場付近の道路状況は、加害車が進行していた米軍引込線に並行したほぼ南北に通ずる道路は幅員約六・五メートルの歩車道の区別のないアスフアルト舗装道路で北行一方通行となつており交差点の東西に通ずる道路は歩車道の区別のない幅員約九メートルのアスフアルト舗装道路で東側は米軍引込線の踏切となつており、さらに交差点の南側には万津町へ通ずる歩車道の区別のない幅員約六メートルのアスフアルト舗装道路が接しており、事故現場はこれらの道路が交叉した五叉路交差点となつているが加害車両の進行していたほぼ南北に通ずる道路とこれに並行した米軍引込線との間には線路に沿つて高さ約四〇センチメートルの鉄柵があり、交差点より約一五メートル手前の道路右端には直径約五〇センチメートルのコンクリート電柱があり、これらが加害車両の進行方向右前方にある踏切を横断する人車の動向を事前に正確に確認することを困難ならしめている。

また、この道路左側沿線には、商店・住宅が建ち並び、交差点付近には夜間の照明施設もなかつたので、夜間の見通しは悪かつた。

一方百作が歩行してきた東西に通ずる道路の踏切上からの加害車両の進行してきた線路に沿つた道路方向への見通しの状況はよかつた。

(三)  本件事故現場の道路状況は以上のとおりであるところ、加害車両の運転者は、何ら徐行することなく本件事故現場付近にさしかかり、時速六〇キロメートルを相当に超えるスピードで進行したため、百作を発見したときは既に遅く、急制動の措置をとつても間に合わなかつたし、また、百作は、踏切地点から道路を横断するに当り、左右の安全をほとんど確認しないまま、漫然と加害車両の前方を斜めに横断中、本件事故に遭遇した。以上認定の事実によれば、本件事故現場付近の道路において、加害車両から踏切付近への見通しはよくないのであるから、加害車両の運転者としては、いかに深夜、人通りの少ないときとはいえ、踏切付近から道路を横断する者も存することを予想し、減速徐行して進行すべき注意義務があるにもかかわらずこれを怠つたため、被害者を発見後急制動しても間に合わなかつたと考えるべきであり、また、被害者百作も、横断の直前、左右の安全を確認してさえいれば、見通しのよい地点であるだけに、加害車両を認識した上、横断を控えたものと考えられ、これらを併せ考えると、加害車両の運転者の過失は九、百作の過失は一程度と見るのが相当である。

そこで、前記認定の損害金総額(百作からの相続分と、原告吉田陽子固有の損害金との合計)金一六四四万六一八三円から一割の過失相殺をすると、原告吉田陽子の取得すべき金額は金一四八〇万一五六四円となる。

五  原告吉田陽子が被告から既に金二〇〇万円を受領していることは当事者間に争いがないので、右損害金から金二〇〇万円を控除すると、原告吉田陽子の取得しうる損害金は金一二八〇万一五六四円となる。

六  しかして、同原告は被告との間で長期にわたり交渉したものの、まとまらず、訴訟のやむなきに至つたものというべきであるので、被告は原告の弁護士費用として、金八〇万円程度を負担すべきである。

七  以上のとおり、原告吉田陽子の本訴請求は金一三六〇万一五六四円およびうち金一二八〇万一五六四円に対する不法行為の日の翌日である昭和四九年七月一〇日から、うち金八〇万円に対する本裁判確定の日の翌日から支払済みまで年五分の割合による金員の支払いを求める限度で理由があるので認容し、その余は失当であるので棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九二条を、仮執行宣言につき同法一九六条を各適用の上、主文のとおり判決する。

(裁判官 佐野久美子)

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